松姫 逃避行


ようこそのお運びで~

松姫の塩山から武州八王子までの逃避行ルートは記録が残っていません。
そこで今回参考とした情報が

そこに記されている件から

・・・・・・幸い、初鹿野・勝沼・石和方面とは方向違いの山中へ向かっているので敵兵の姿もなく、油断怠らないうちにも安堵する思いで小田原を過ぎ裂石に到着した。ここには武蔵からの侵入を食い止める拠点でもあり、武田信玄庇護の雲峰寺がある。日は高かったが今から山に登るには途中で日が暮れるし、幼子を抱えて疲れている一行は一夜の宿を頼んだ。・・・・

雲峰寺逃避行への旅
スタートポイントとした。

雲 峰 寺

上日川峠への登山口である
裂石登山口駐車場から300mほど下った山麓に
ひっそりと建つ雲峰寺

雲峰寺の宝物殿が開館時間が9時からなので
山から下りてから向かった。

不揃いの長い石段を登っていくと仁王門
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松姫一行も、この仁王門を通過したのでしょうか。
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(昔の檜原物語から)・・・・・・快く受け入れた雲峰寺に入った松姫一行はびっくりしてしまった。雲峰寺の武者隠し部屋の中に武田家ゆかりの大切な品々が仕舞ってあるではないか。
実は勝頼一行が田野において討死する折、自刃を決意した勝頼は主人と生死を共にしたいと願う家臣に武田家重代の宝である品々を、雲峰寺に隠し、敵の手に渡さないように頼んでおいた。それは雲峰寺が深い山中で武田一族しか知らない隠れ寺だからである。・・・・・

本殿とその奥に茅葺屋根の庫裏(くり)
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宝物殿・・・平成8年新設。
先の家臣に託した武田家の家宝である日本最古の「日の丸の御旗」をはじめ、
戦場で用いられた軍旗などが大切に保存してあります。
歴史オタクの私にとって涎がでそうな
風林火山の「孫子の旗」も

宝物殿で入場料を支払っていると
御朱印帳の申し込みをしているご婦人が
なんと高遠から来られている御様子。

松姫の話をしてみたのですが残念ながら御存知でなく
高遠の殿様の妹なんですよ~ というと
あ~、五郎さんのね。

高遠では仁科五郎盛信のことを五郎さんって呼ばれるんですね。
最近、ブロ友momo隊が、その高遠の五郎さんを訪問してました。


上日川峠から石丸峠

(昔の檜原物語から)・・・・・・翌朝、天気は好かったが寒い風の吹く中を出発した。遺品を護衛している家臣も道案内がてら荷物を持って送ってくれた。
砥山(1605米)で休み石丸峠を通りオオマトイ山鶴寝山を過ぎ、奈良倉山からひなびて目だたない腰掛けの宿に着いた時は、日の暮れる直前であった。松姫一行といっても松姫と幼姫、そして家臣と侍女と少人数の供を入れても二十人を越す大人数である。・・・・・・・

ここで石丸峠までのルートについて
檜原物語では砥山(とやま)で休みとなっていますが
現在には雲峰寺から直接に砥山に登るルートは無い。
(ヤマレコの足跡データも無し)
今回は、裂石から上日川峠に登るルートから石丸峠に向かうこととした。
石丸峠から先は牛ノ寝通りから大マテイ山・松姫峠に向かうルートは
今も主要登山路だ。
↓クリックで拡大可
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本日のルート、裂石から上日川峠、石丸峠、大菩薩峠、上日川峠の
峠周回ルートを巡り裂石に戻るピストン。

  裂石登山口駐車場  7:10  

この時期、既に甲斐大和からの大菩薩初鹿野線は開通しており
裂石登山口駐車場には余裕で停めることができた。
お隣の車は名古屋ナンバープレート
流石、全国区の大菩薩嶺ルートだ。
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松姫一行が雲峰寺を発ったのは旧暦三月二十日前後。
新暦では4月初旬と思われるが
この雲峰寺での標高も、既に1000mを超えており
幼女を含めた松姫一行の早朝の旅立ち
どんなに心細く不安いっぱいだったと思われます。

舗装道路を道なりに登っていき
丸山峠分岐駐車場をやり過ごして、暫く進むと
大きくカーブした先に登山道が見えてきた。
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新芽が付きはじめた登山道を暫く進むと
松姫こと・・相方が
「これって、骨だよね~」と
指さす先には白骨の欠片が散らばっていた。
多分、鹿の骨だろうね。
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3年前に大雪の年には
春先に多くの鹿が死んでいましたが、
その時の死骸なんでしょうか。

駐車場から歩くこと30分で
千石平に到着
芦倉沢にかかる橋を渡った先には
お洒落な雰囲気の千石茶屋さん
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こちらには下山時に立ち寄ることとして
お茶屋の方、朝の挨拶を交して先に進む。

沢沿いに緩やかな傾斜で直進する幅広の登山道を200mほど進むと
上日川峠からの尾根筋斜面にとりつく
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ここからが本格的な登山道で
いきなりの急斜面を九十九折れに登っていく。
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登山路が尾根の背にいきつくと
比較的に緩やかな尾根筋にそった道へと変化する。
途中、発見した第一展望ポイントは
なんと、大きくJの字に変形した木の上が
展望ポイントらしんのだが、前の立木に邪魔されて
期待した展望は得られなかった。
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尾根筋は広葉樹の明るい雑木林
落葉した葉っぱが積もった道が続く。
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第二展望ポイント(こちらも展望得られず)手前で
この日、初めての登山者に追いつく。

裂石駐車場はともかく丸山峠分岐駐車場は満車の様子だったので
かなり多くの登山者が入っている想定だったが
皆さん、健脚の持ち主の様子。
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登山路は一部土砂崩れで崩壊しており
一旦、車道に迂回し直ぐに登山路に戻る。
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ここから一部急登となっている大菩薩のブナ林を
登り切り車道に沿いながら進むと
喧噪な雰囲気が聞こえてきた。
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  上日川峠  9:06  

裂石駐車場から約2時間で上日川峠に到着。
この時間帯が調度、甲斐大和からのバス第一便到着と重なり
大勢の登山者が峠に下りったタイミングだった。
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石丸峠には、トイレ横からの下り道
道標近くにベンチをみつけて軽くエネ補給。

ここから石丸峠まで道標表示で1時間45分。
ほぼ、11時到着の予想とみた。

この石丸峠登山口にむかうルートは
最初の大菩薩嶺登山の折に
上日川峠の駐車場でとめられなく
石丸峠登山口近くに路駐し上日川峠に向かう逆コースで使用した。
9年程の前の記憶だが、ひどく暗い雰囲気の道だった様に覚えていたが
中々、どうして
大菩薩の人気コースと違って
人の往来がすくなく、良いルートです。
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大菩薩湖に流れ込む沢を渡渉し
唐松林を登っていくと
甲斐大和駅からの県道初鹿野線にぶつかる。

  石丸峠登山口  9:36  

車道を渡った反対側に石丸峠登山口
この登りのルート
9年前に同じく路肩駐車した川崎から来られた登山者から
登りを選択するとキツイよ~と言われていたことを思い出した。
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直登に近い急斜面を一気に100m近く登っていく。
ここで情けないことに
一気に体力を消費した様で
前方を歩く
平成の松姫こと、相方さんに中々追いつけない。
足が上がらない・・前に進まない
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まして、こんな調子の悪い時に限って
ポールを車中にわすれてしまう失敗。

松姫一行も、この急坂を登ったのでしょうか。
まして、昔の着物・草鞋など
条件面では現代人が恵まれた条件にもかかわらず。

そして、ここの標高は既に1700mを超えており
4月上旬であれば残雪も残っていたことでしょう。
雪も最も条件の悪い腐った状態。

急登を登り切ると林道にでた。
林道を右折し進むと
カーブした林道の先に白い頭が見えてきました。
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霊峰富士が前方に
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先ほどの疲れを吹き飛ばしてくれる様な
霊峰富士の優美な姿が待っていてくれた。

さて、この林道からは、再び急登が続きます。
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幸いなことに、こちらの急登は直ぐに
尾根南側斜面をトラバースするルートに。
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相方さん、調度良い枝を杖がわりに確保。

こんな景色を魅せられているのですが
心臓はバクバク状態で余裕無し。
我が家の松姫は、余裕で
信松院の松姫像が被っている編み傘が欲しいねと。
次第に陽射しがきつくなったようだ。
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唐松林を抜け切ると
展望が一度にひろがり
霊峰富士と手前の黒い山は
秀麗富嶽十二景 2番山頂の小金沢山
この山は、唯一残った十二景未踏の山です。
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ちょっと、この景色を魅せられ
暫し、座りこむ。いや、動けません。
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松姫一行も、このルートを歩いたのであれば
この霊峰の姿が目に入ったはずだが
織田勢の落人狩りの恐怖で、それどころでは無かったのかな。
こういった発見が実際に歩いてみないとわからない。
この先にも、どんな発見があるのだろうか。


この休息ポイントから
熊笹の道を更に進んだ先に
緩やかな鞍部になっているポイントが石丸峠
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  石丸峠  10:45  

裂石から約3時間40分で石丸峠に到着。
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ここから、松姫一行は
牛ノ寝通りから西原に向かったと思われる。
しかし、こうち隊の
今日の逃避行ルートをなぞる旅は、ここで終了。
この先は後ほどに~
こうち隊は、大菩薩峠経由で下山することに。

大菩薩峠へ、そして下山

石丸峠を熊沢山に向かって登る途中から
奥多摩三山(奥から、大岳山・御前山・三頭山)を一望できる。
そして、三頭山に向かって
峠下部から連なる尾根が牛ノ寝通りです。
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ここを更に拡大すると
牛ノ寝通りから奈良倉山(これも富嶽十二景)
そして、その先には西原地区(坪山で先日登ったばかり)。
三頭山の右手に延びている尾根が笹尾根(リベンジ笹尾根で高尾まで踏破)。
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ポツポツと歩いているコースがあるが
これらを線でつなぐ松姫逃避行ルート、
まだまだ、先は長い。

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熊沢山から大菩薩峠までの下り
シラビソの苔むした根っこ剥き出しの
歩き辛い道を下っていく。
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  大菩薩峠  11:17-昼食-12:16  

三度目の大菩薩峠に到着。
相方の手には、介山荘で買ったソーダアイス。
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ソーダアイスピーク(北岳のつもり)と南アルプス
アイスの冷たさで先ほどまでの調子悪さを吹き飛ばしてくれた。
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介山荘は、大賑わい。
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実は・・・この松姫プロローグ登山は
石丸峠から介山荘で一泊し
二日目で再び石丸峠から鶴峠若しくは
西原まで足を延ばす計画でしたが、
この時期の介山荘は予約オーバー状態。

石丸峠から西原までの縦走路は10時間近いロングになるので
朝の早立ちが必須でその候補が介山荘。

今今は、アクセス方法について再思案中なのです。


昼食休憩を一時間と長めにとり
大菩薩峠から一気に上日川峠に
途中、富士見山荘では
次週に予定の富士見新道をチラ見。
写真の唐松林手前の看板が入り口です。
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  上日川峠  13:00  
朝程の喧騒感はなくなりましたが、
今度は、下山用のバスが乗客待ち。
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残念ながら私達は
自分達の足で下りなければなりませんが
午後になり、陽射しがきつくなりました。

我が松姫も、
完全におりんさん状態
(おりんさんとは、横溝映画「悪魔の手まり歌」で出てくる
手拭を頭にまいたお婆さん)。
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暑い・・暑いと言いながら
良いペースで
一気に千石茶屋さんに駆け込む。
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ここで、泡のでる奴でいきたいところですが
車が待っているので炭酸系ジュースで喉を潤す。

千石平の山桜も葉桜になりかけ
そして若葉が山を彩りはじめました。
山が笑うって、こういうことかな。
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  裂石登山口駐車場  14:14  

上日川登山口から一気に一時間と少しで登山口駐車場に戻ってきた。
登りでは体力を使い果たしたと思ったが
大菩薩峠でのロング昼食で息を浮き返すことができた。

さて、今回の松姫逃避行
失敗したことが一つ。

季節が完全に春になってしまってる。
本来ならば、同じ時期に歩いてみたかったルート。
残雪のこる標高も1800m近い山に
どんな自然の苦難が待っていたのか。

これは、体験したものでないとわからない。

でも・・・・・
今日のルートでも大変な思いで登った私達には無理かもしれない。

次回は機会をみつけて
石丸峠から先の行程に挑戦したいと思っています。

乞うご期待ということで


ようこそのお運びで~

過去ネタを復活させます。

10年前から始めたyahooブログ
その初期の頃に、時折
レポをのせた「松姫」を復活させようかと。

簡単におさらい~

わたしこと、こうちが
松姫を知るきっかけは
八王子の銘菓「松姫もなか」
といっても、松姫が武田家ゆかりの人物なんて知る由もない。

-今年の3月に知人宅にて・・松姫もなか-
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そして
松姫の物語を知るきっかけになったのが
地元の少年サッカーチームのコーチをやっていた時代に
夏合宿で選んだ学校と宿舎
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皆さん、お馴染みの陣馬山登山口である陣馬高原行きバスで
夕焼小焼の次のバス停近くが合宿地。

その合宿地の前に松姫の碑
そこで初めて松姫の波乱の人生を知ったわけです。
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簡単に3分でわかる松姫の波乱万丈の人生~♪

松姫は、武田信玄の六女で
この頃は、信玄顕在で武田氏隆盛の時代でした。
世は戦国時代、戦国大名同士の姻戚による絆として
織田信長の嫡男信忠と松姫は婚約(信忠11歳と松姫7歳)。
その後、信玄の上洛遠征で、直接に織田・武田が三方ヶ原の戦で衝突したことで
この婚約は解消されるのですが、
手紙のやり取り等で精神的には二人は繋がりが出来たといわれています。

時は流れて、信玄の死後
松姫は同母兄の仁科盛信の居城である高遠に居を移します。

歴史は非常です。長篠合戦などで勢力衰退の武田家に対し
元彼(今風にいえば)の織田信忠を総大将とする織田軍による
武田征伐が始まります。
そして戦火を逃れる様に
松姫は、高遠から韮崎(新府)そして塩山方面に逃避するのです。

間一髪、天目山で武田家が滅びる直前に
武州金照庵(前述のサッカー合宿地)に落ち延びますが
この時、武田家を裏切った小山田氏は大月に勢力をもっていた為に
甲州街道等の表街道は通れず山間を抜け現在の上恩方に至ったといわれます。

この松姫の逃避行のルートについては諸説あるようですが、現在の塩山(甲州市)から、三頭山、浅間尾根、桧原本宿、市藤山、上恩方というルートが確証はありませんが有力説の様です。いずれにしても、現在の甲州街道やJR中央線の北側の道なき山道をひたすら東に向かって進んで行ったことだけは間違いないようです。

その後、松姫が無事であったことを知った織田信忠から迎えの使者が訪れたが、
本能寺の変にて信忠は自刃。まさに悲劇・悲恋のヒロインなのです。
松姫は、その後に出家し「信松尼」と称し、草庵を八王子台町に移します。
後に信松院となるそこの草庵で近くの子供たちに読み書きを教えたり、養蚕や織物を作ったりして静かに余生を過ごしたということです。

現在の信松院(今年3月に撮影)
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信松院の裏手にある松姫の墓(今年の3月撮影)
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私が、山登りを始めた頃と
ほぼ同時期にこの松姫の物語を知り
いつの間にか、この塩山と八王子とを結ぶ逃避ルートを
歩いてみたくなりました。

特に、この逃避行では同行人に
兄である仁科五郎盛信の娘督姫、勝頼の娘貞姫
人質であった小山田信茂の養女香具姫も同行しており
苦難な逃避であったことが想像されます。

8年前に、この逃避行の旅を八王子側から歩こうと
信松院から関場まであるきました。

今回、この逃避行ルートに
塩山から再チャレンジ!!

その第一弾で

塩山 裂石(れついし)雲峰寺から石丸峠まで
次報にて


松姫逃避行を歩く Part2 and 陣馬高原


コースタイム:
夕焼け小焼けの里PA(8:40)-陣馬高原下(9:16)-奈良子峠(10:21)-陣馬高原(10:50-昼食-11:30)-陣馬高原下(12:20)-夕焼け小焼けの里PA(12:55)
登り 2時間10分 下山 1時間25分
-関場-
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お彼岸の3連休、初日は会社ゴルフコンペ・2日目は未明まで台風並みの暴風雨そして昼間は黄砂で周囲真っ白で自宅待機(自宅から高尾山もホワイトアウト)・3日目は・・・・。
お天気も上々の予報、久しぶりに蛭が岳にアタックしようと目覚ましも5時にセット。
・・・・・む~ん。春眠なんとか・・・。
結局、起き上がれず7時起床。
外は天気予報通りに青空。昨日の様な黄砂もなさそう。

しかるに今の時間からはと遠くにはいけず、計画変更し近場の陣馬高原に。
昨年の11月に中途半端に終わった松姫逃避行中継地-夕焼け小焼けの里からリスタート。
松姫逃避行

夕焼け小焼けの里のPAは無料ですが、さすがに、ここから陣馬に登っていく登山者はいない様です。シーズンオフなので高尾駅から陣馬高原下までのバスも1時間に一便の様で、陣馬高原下まで道筋で何台ものタクシーに抜かされます。
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約30分で陣馬高原下に到着。今日も昨日の様に気温は上がっていくのでしょうが、陣馬街道は日陰にはいると舗装道の傍を流れる川から吹き上げる風がヒンヤリ冷たく快適な出だしです。
バス折り返し場は和田峠に至る陣馬街道最後の集落地ですが、折り返し場に面した旧い商店が古き昭和の時代を思わせる良い雰囲気です。映画のロケに使えそう。
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陣馬高原下からの登山ルートは和田峠経由をとらず、今回は、高尾・陣馬縦走ルート上の奈良子峠に直登ルートにチャレンジ。バス折り返し場の案内図にのっているルートですが、山と高原地図には掲載されていなく少し不安。
松姫は和田峠を越した様ですが、今は舗装道になっているので、昔の街道を思わせる旧い道を選択。
その不安も、案内標はしっかりしており問題無かったのですが、ルート上への倒木・落枝が多く、これらの障害物に閉口。
一昨日の暴風雨の影響でしょうか。
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案内標はしっかりしています。左側のルートは底沢峠に登るルートです。
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倒木が道を塞いでいます。運動会の障害物の様です。

暫く障害物を跨ぎ越しながら登っていくと杉林から背丈のまだ低い檜の植林地帯に入ります。この辺りは、倒木なく、漸く登山道に有り付けた感です。
九十九折れの登り道をしばらく進むと、高尾―陣馬縦走道上にある奈良子峠に到着。
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この縦走道に入ると、これまでの静かな登山道がうその様に老若男女の登山者・ランナーが行き交います。ほんと、高尾の銀座通りなのです。この縦走ルートは。
縦走道にでて30分程で陣馬高原山頂に到着。一昨年の高尾から縦走登山以来です。
白馬の前方に白さも艶やかな富士山が姿を見せてくれています。昨日の黄砂も風もなく春の暖かい陽を浴びた絶好の山頂です。
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富士山の北側の山並みは昨年末と今年1月に登った三ツ峠・黒岳の稜線も遠くに望めます。
(今日登っていたであろう蛭が岳も・・・・)
一昨年の陣馬では、このパノラマで登った山も数少なかったのですが、今回は、あれと・あれと・あれと・・・・・。この一年間で結構楽しませてもらいました。
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さて、小腹もすいたところで、お昼ご飯。
ガスバーナも持参していましたが、余りにも隣の方が食べているけんちん汁が美味しそうで、「うどん」「けんちん汁」を思わず注文。各々550円です。ツケタシとお茶付きです。
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それにしても陣馬はランナーの多いこと。お隣のテーブルでも6人のグループで登った後のお食事中。トレイルランナーって若者ってイメージでしたが、結構、頭も顔の皺も、そこそこ私以上にいっている人が多いじゃないですか。
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お腹も膨らみ、早めの下山!! 
足・腰は、まだまだ元気。おじさん・おばさんランナーに触発された我が家の「おりん」さん、駆け降りています。足取りも軽く陣馬高原下バス停・夕焼けまで転がり続けました。

自宅(9:10)-信松院(10:04~10:15)-甲州街道(10:25)-追分交差点・陣場街道(10:34)-諏訪神社(11:25)-川原宿(12:16~昼食~13:04)-夕焼けの里(14:13)-関場(14:19)-夕焼け小焼けの碑(14:31)-夕焼けの里 バス停(14:40)
総歩距離:19.7km(帰路はバス使用)


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私のブログに良くコメントして頂いている「とっこさん」の木曽路を廻る旅に触発され、今年の冬は、山が今ひとつの天候時に歩けるコースを検討。
第一案は甲州街道。八王子から塩尻にかけて在来線が平行しており・・・。おっと、甲州街道は新宿からでしたね。数年前にBSで勅使河原さんが歩いたコースです。
でも、八王子起点の歴史的なコースがないか考えた末、ベストなルートが・・・。

八王子土産の「松姫もなか」というお菓子があります。
この松姫は、武田信玄の5女で、今年の大河ドラマ天地人で上杉景勝正室、菊姫の同母姉。姉の松姫は、武田家が信玄顕在で隆盛の時代に織田信長の嫡男信忠と婚約。信忠11歳と松姫7歳の時でした。
この後、この婚約は解消されるのですが、手紙のやり取り等で精神的には繋がりが出来たといわれています。その後、松姫は同母兄の仁科盛信の居城である高遠に居を移すのですが、歴史は非常です。元彼(今風にいえば)の織田信忠を総大将とする織田軍の武田征伐を避ける為に高遠から韮崎(新府)そして塩山方面に逃避。
間一髪、天目山で武田家が滅びる直前に武州(今の八王子恩方)に落ち延びます。
この時、武田家を裏切った小山田氏は大月に勢力をもっていた為に甲州街道等の表街道は通れず山間を抜け、和田峠を経て現在の上恩方に至ったといわれます。
その後、松姫が無事であったことを知った織田信忠から迎えの使者が訪れたが、本能寺の変にて信忠は自刃。まさに悲劇のヒロインなのです。
松姫は、その後に出家し「信松尼」と称し、草庵を八王子台町に移します。

この逃避行の旅を八王子側から本日は尼寺金照庵(現恩方第二小)まで遡ってみたいと思います。


八王子富士森公園-フットサル場前の道路を中央線方面に直進すると交差点左に信松院。
この交差点を左に入ってすぐです。ちなみに、この信松院手前に感じのよさそうな喫茶店がありましたが、営業時間前でした。
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山門前の松姫
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信松院-観音堂。少し中国チックな感じです。松姫のお墓は、この観音堂の裏にあります。
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松姫のお墓です。勿論、お墓の上の屋根には武田菱が飾られています。
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この地が松姫の終焉の地ですが、これから松姫の逆ルート逃避行にチャレンジしていきます。来年にかけての大型プロジェクトです。

信松院から中央線を渡り(正確には昔踏切・現在、トンネル道なのでくぐり・・)甲州街道に出会います。ここで「松姫通り」の案内道路標。甲州街道は左折。直進すると秋川街道につながります。
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5分ほどで甲州街道から陣場街道への分岐-追分の交差点-を通過します。松姫の落ち延び地-上恩方は、陣場街道沿いです。
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中央道高架を潜り、高尾街道との交差点を過ぎて暫くすると右手に諏訪神社があります。
八王子に住んで30年、これまでお参りにきた事がありません。
初めての参拝です。
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川原宿交差点。左折すると高尾駅方面。右折で圏央道八王子西ICです。
ここでお食事タイム。交差点近くの定食屋にてカキフライ定食680円也。
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40分程の休憩の後、目指すゴールまで1時間ほど。

これからは街中からはずれ、紅葉で輝く山々を楽しみながらの散歩道。
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でも、次第に口数が少なく、足も重くなってきました。
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川原宿より1時間ほどで夕焼けの里に到着。
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今回の目的地は、この先500m程にある恩方第二小学校。松姫が辿りついた尼寺金照庵のあった場所は、この小学校のグランドです。
夕焼けの里駐車場から橋を渡り右手の歩道を歩いていきます。
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歩道から少し奥まった場所に松姫碑が建立されています。
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そのそばにある人家は大きな旧家です。
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実は、この辺りは6~7年前に地元少年サッカーチームの合宿で2年程、お邪魔した場所です。この旧家は、元の上恩方村長宅で現在はテニスの合宿所です。私と子供達は、この旧い大きな屋敷に2年間お世話になったのです。そして、練習グランドが、今回ゴールとしている恩方第二小グランドでした。

関場の3差路です。左折すると陣場高原に向かいます。恩方第二小は、この3差路から直ぐのところを右折します。
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恩方第二小 通用門です。このグランドで練習をしたわけですが、ここが松姫の住んでいた金照庵があった場所が分かったのはずーっと後のことです。ここに松姫は安住の地を得たわけですが、織田信忠の訃報を知った場所でもあるのです。
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合宿ついでに、この近くには中村雨紅の「夕焼小焼」の碑があります。故郷の恩方の情景を歌ったもので八王子市の夕方チャイム、JR八王子の発車メロディーにも使われています。この碑は、合宿所から徒歩で10分ほどの宮尾神社にあります。肝試しで夜に子供を引き連れて神社までいった記憶がついこの間の様です。
今日は、昼間の参拝です。
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「夕焼小焼」の碑
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、Part1は、ここまで。
帰路は、陣場からの下山者でほぼ満席のバスにゆられて(幸いにも座れました)高尾駅まで。
松姫逃避行を遡る道程は、これからが本番。

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