2015年11月


一気に寒波到来の日本列島
その週末の小春日和のお天気
秀麗富嶽十二景 5番山頂
奈良倉山に登ってきまた。


   1番山頂 雁ヶ腹摺山・姥子山
   2番山頂 牛奥ノ雁ケ腹摺山・小金沢山
   5番山頂 奈良倉山
   6番山頂 扇山
  7番山頂 百蔵山×
   8番山頂 岩殿山×◎・お伊勢山
  9番山頂 高畑山倉岳山△
 10番山頂 九鬼山△
 11番山頂 高川山◎
 12番山頂 本社ケ丸◎・清八山

今回のコース
11月はじめに登られたブロ友nobuさんのレポを
完全リピートの山行です。↓↓
nobuさんの紅葉山行との対比で景色を楽しんで下さい。

コースとコースタイム↓(拡大可)
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今回は相方の元同僚トカちゃんと一緒です。
朝7時にトカちゃんをピックアップし
想定以上に早めに小菅村 道の駅に到着
nobuさん情報の鶴峠向けバスは9:18に対し
約1時間前に到着してしまいました。
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グダグダと山支度とトイレをすまし
バス停となっている道の駅併設の
「小菅の湯」に移動
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久しぶりの再会とあって(5月の御前山以来?)
車中からの会話が途切れません。
中々、二人の会話に入れ込めない私です。
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ほぼ定刻の時間で村営バス到着!!
1人乗客下車し乗車したのは私達3人のみ。
バス・・貸し切り状態でした。
鶴峠までは100円です。
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約20分の乗車で鶴峠に到着。

 天神平  登山開始           am7:40  

鶴峠・・トイレはバス停下車し少しだけ上野原方面に下った場所に
駐車場に併設しています。
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ここから三頭山にはコースタイム2時間程で達します。
今日は、その反対側奈良倉山に登っていきます。

この峠で標高は800mを超えており
登山道は落葉の絨毯
カサ・カサと踏み音が心ごち良い
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このコースは
多摩川水系と相模川水系の分水嶺を登るルート。
左側斜面は針葉樹・多摩川斜面は広葉樹で覆われている
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その多摩川斜面からは落葉した枝の隙間から
雪を纏った奥秩父の山々が遠くにみえた。
先週後半からの寒波で漸く関東の山々も冬支度。
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そして、その稜線を東方に目をおっていくと
石尾根に雪もつまり白いベルトと化した雲取山が見えた。
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先週、景信山で雲取山の同定をしようとしたが
この白いベルトが分からず(降雪していないので)
冬が来ないと分かんないよねと
もろーさんと会話したのは1週間前

分水嶺から登山道は南側斜面にうつり
檜の植林地帯をぬけると展望ポイント
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三頭山から高尾まで連なる笹尾根
ここを歩いたのは既に昨年のこと。月日の経過は早いもの。
あ・・・次週から12月。更に年を重ねていきます。
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さて、ここまでのルートは比較的緩い坂道
落葉した広葉樹林帯に入ると
傾斜もきつく
更に落葉した葉が滑り
更に落ち葉の下の土が温かさでぬかるみはじめた。
でも、後方を歩いてくる二人には
会話に夢中で関係なさそう。
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急坂を登り切ると
踏み跡浅い・・・落葉道を歩く
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奈良倉山迂回ルート(松姫峠)と奈良倉山の分岐に
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一旦はヒノキ林の暗い道を進むが
直ぐに葉が落ちて裸になった林を進み
斜度が緩やかになった場所に広場が見えてきた。
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 奈良倉山           am10:45  
秀麗富嶽十二景 五番山頂
奈良倉山に到着。
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鶴峠から約1時間で秀麗富士を眺められます。
といっても、山頂部は展望がなく
少し南側の斜面が切り開かられていて
そこが展望スポットとなっている。
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この小春日和の晴天の中、
富士山の雪も5合目あたりまで伸びてきています。
今日、この日、富士山を中心した四方の山々
多くの登山者が、この姿を眺めているんだろうな。
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富士山、右手前の山はお馴染み三ツ峠山

そして、人気の秀麗富嶽
鶴峠から山頂までの間で親子連れ、グループ・・そして
奈良倉山にも先着で二組のグループが登っていた。
この富士大展望には大満足の様子
勿論、私達も・・。

15分程の休息の後に
松姫峠にむけて再始動。

緩やかな傾斜をおりきると
林道に出逢う。
松姫峠まで、この林道が延びている。
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道端には昨日か、
その一日前に降っただろうと思われる残り雪。
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林道は、唐松林の中に。松姫峠は前方にみえる小山の先にある。
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唐松林越しに大菩薩から連なる稜線がみえてきた。
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・・・お二人には
この景色が目に入っているのかしら。
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距離をおいて尾行する・・
でなくて、距離を置きながら
先行する・・図式です。

ときどき、熊もびっくりする様な大笑い(笑)
松姫峠手前の小ピークは
陽光かがやく林道を選択。
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そう、なにしろ
紅葉が終わると、スカスカの梢の隙間から
遠くの景色も良くみることができます。
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車道が現われました。
ここが松姫峠です。
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 松姫峠           am11:37  
この峠からは大菩薩から雁ヶ腹摺山まで
一望できます。
この一番左の雁ヶ腹摺山は
秀麗富嶽 一番山頂
これは、一番最後に残しておこうかなと。
その時は、大菩薩から縦走・・??
石丸峠から牛奥ノ雁が腹摺山間が未踏区間です。
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数分遅れで、後続のお二人が松姫峠に到着
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松姫峠・・
天目山で敗れた武田家
信玄の娘「松姫」は、塩山の向獄寺から
武州(現八王子)恩方まで、十数名の供と共に
まだ残雪残る3月に逃避行(これは事実)。

しかし、この松姫峠を通過したかどうかは不明なんです。
この辺りは、↓の記事で・・・

峠にあるトイレの傍から
次なる目的地鶴寝山への取付きポイントです。
鶴寝山は・・・通過点で
牛の寝大菩薩峠への登山口となっています。
ここから正丸峠までつながっており、ほとんど平らな尾根道で
牛が寝ている背を歩く様で「牛の寝通り」と呼ばれているとのこと。
このルート、引出しの中に仕舞っておきます。
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名の通り緩い登り坂を上ると
前方に丸い山頂部がみえてきた。
鶴寝山です。
牛が寝たり、鶴が寝たり・・面白いですね。
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後続のお二人も
落ち葉の柔らかい登山道に絶口調の様です。
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 鶴寝山           am11:57-ランチ-12:40  

お昼直前に鶴寝山に到着。
山頂には、先の奈良倉山から先に出発したグループが
お昼の準備をしていた。
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こちらも、南側斜面の木々は切り払われており
山頂部に設けられたベンチが展望特等席。
先週と同様、奇跡的とは言いませんが
良い席を確保できました。
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初冬の陽射しも高くなり
冠雪した雪も光り輝いています。
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相方他、後続のグループの程なく到着し
山頂は一気に賑やかに。
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とかちゃん持参のランチもお裾分けして頂き
久しぶりの満腹感のお昼でした。

さて、時刻も一時近くになってきました。
それでは、小菅温泉に向けて下山を開始。

山頂から、少し歩いたところに大きな巨木

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柵も設けられており
簡単には上れそうにもないのに
とかちゃんが、相方を上れちゃうよと
煽りっぱなし。
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その先のルートは大菩薩峠に向けたルート
巨樹の道を選択。ここは左選択しても再びルートは合流します。
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残った雪が前日までの寒さをモノガッテいます。
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そして、このルートで目についた光景
倒木した木々に苔がつき茶色の世界に
アクセントの緑を残しておりました。
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 山沢入りのヌタ(小菅分岐)           pm1:08  

この分岐が非常に分かり辛いのですが
右側が小菅温泉に向かうルート
左側が大マテイ山を経由して
牛の寝通り、そして正丸峠につながります。
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この分岐からルートは
尾根道から北側斜面を
トラバースするルートに変わります。

そして、暫く歩くと
前方に大きな木が現れた。
これがトチノキの巨樹です。
相方達と比較すると大きさがわかると思います。
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更にトラバース道を進むと
林の向こうに御前山が見えてきた。
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このポイントから沢筋の急坂を下りていきます。
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そして高指山(左)と小菅温泉(右)との分岐
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ここからは暗い杉林の坂道で一気に標高をさげていく。

沢の幅を広くなると山葵田の段々畑。
この様な大規模なものは初めてみました。
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山葵田を通過し渡渉すると
林道終点に辿り着く。
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ここからは林道のてくてく歩きが30分程。
もう冬の陽射しです。3時前の時間帯でも
すでに谷筋は陽も閉ざされ寒かったです。
まだ、山の空は青空です。
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 小菅の湯           pm2:47  
小菅の村里におりてきました。
民家の柿の木は鈴なり状態。
皆さん、干し柿をつるさないのでしょうか?
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我が家、今年も相方実家から柿を送ってもらい
干し柿にトライしています。
今年の秋は暖かく干した柿が黴てしまったり
うまくつくれていないようですが
我が家の2015干し柿の出来は如何なことでしょう。

そして、小菅の湯に戻ってきました。
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足が疲れていれば
汗でも流して帰ろうと準備はしていましたが
自宅も近いので
今回は、「高尾の湯」で一風呂浴びることとしました。
何しろ、入浴料金はタダですもんね。


秀麗富嶽十二景
奈良倉山は、登山道も良く整備されており
特に道標も小菅村の管理がいきとどいていて
安心して山歩きをすることができました。

そして驚いたことに
道の駅 こすげ
奥多摩主要幹線道から外れているのにも関わらず
下山時も広い駐車場は8割方うまっており
賑やかな道の駅でした。
村起こしの中心地なんですね。
村営バスあったりして
応援したくなる村でした。

次回はお風呂入りの登山計画をつくってみようかと。


八王子城跡ネタでもう一つ

「北条五代」を大河ドラマ化しようと
小田原市が宣言しているとか。
もちろん、この推進自治体には八王子市も含まれております。
↓ 八王子城跡ガイダンス施設 幟旗
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今や、大河ドラマは地方の観光活性化に必須。
八王子も大河の表舞台に露出する日が来るか?!

そういえば八王子城攻め手の
前田利家・上杉景勝はドラマ化されてましたね。
そして、来年の大河主人公幸村の父、真田昌幸も
攻め手の一軍だったんですよ。



本編に戻ります。

八王子神社から再び高尾・陣馬縦走路にもどり
北高尾山稜ルートを進む。

一言で高尾といっても
観光地化している高尾山周辺部と
そこを起点に主脈である陣馬山までの奥高尾縦走ルート。
これまでも、何度か歩いている南高尾縦走ルート。
そして、今回の北高尾山稜ルートにわかれる。

最近では、高尾山口から周回で回れる利便性で
南高尾山稜も登山者が多く流れる様になってきたが
この北高尾山稜は健脚向きということで
登山者は少なめで静かな山歩きを楽しめます。

もろーさん、北アルプスにたとえると
高尾山が上高地で
陣馬までの奥高尾縦走路が
明神・徳澤・横尾の銀座通りなんじゃないかな・・なんて
そしたら
北高尾は・・新島々から徳本峠のルートかなんて
勝手な想像をしてしまう。

細かなピークを通過し
後方をふりかえると先ほどまでいた本丸を望める。
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このアップダウンの繰り返しで
次第に身体は汗ばんできた。
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詰の城に到着。
以前は天守閣跡と表記されていたと思うのだが
小高いピークは樹木に囲まれ小さな広場に
建物が建っていたとは思えない場所
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詰の城とは・・・一つの城の中で最終拠点となる 地域,
 複数の城で防衛地域を設定した場合,最終拠点となる城。

ということで、この場所が八王子城の最終拠点とのことですが
八王子城落城の際、城代の横地将監景信が、この北高尾山稜を経て
奥多摩に逃れており、
この城落ちルート最後の防衛拠点だったのではないかと思う。

一説には、この横地景信が
今の景信山経由で逃亡したことで景信山の名前の由来になったとか。
・・・ということは、本日の山行計画は
景信さんの逃避行ルートだったかも。

この詰の城のピークから
少し下ると
見事に尾根を切り通した堀切にでる。
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この大きさの巨石を切り通した土木工事は
大規模なものだったのでしょう。
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この切通しを左に巻いて
長い坂道を登っていくと「富士見台」に到着。
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前回も、この富士見台に来ているのですが
富士山を眺めた記憶もなく
今日も期待はしていなかったのですが
木々の隙間から白く雪化粧を纏った富士山が
そこにいた。
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すると、バスで一緒だったお二人さんに再会し
道標から少し尾根筋に展望ポイントがあることを
教えていただく。

ここにはテーブルやベンチもあり
少し休息することに。
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(8年前は、この尾根筋を旧甲州街道の荒井バス停に下山)

この三連休で唯一の青空にはえる富士の姿。
手前の稜線、左手の電波塔が小仏城山、そして
右に下った鞍部が小仏峠となる。
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再び、先ほどの道標ポイントにもどり
「堂所山を経て陣馬山へ」に従って
尾根道のアップダウンを進む。

このルートで最も傾斜がきついピークは
「高ドッケ」
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ドッケとは、尖った峰をさす言葉だそうですが

由来は・・・古代朝鮮系の言葉と言われている話とか
「突起」がなまった言葉で尖った地形に付けられた名前だとか。

この北高尾稜線上には、今日は通過しませんが
もう一つ黒ドッケが残っています。

前方にバスのお二人さんが歩いている姿が
確認できましたが・・その距離は
中々詰まりません。
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高ドッケからは降り道とばかり思っていたが
下写真前方の緩やかなピークを登るのは計算外。
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そして林道に出逢った場所が
板当峠となる。
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ここで休憩していた先行のお二人に追いつく
今日は堂所山まで歩いて
体力をみて、その先を考えるとのこと
お年を推察するに70歳前後とお見受けしましたが
歩き方に余裕のある良い山歩きをされていた。
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さて、私達は
ここから北高尾山稜ルートから外れて
小下沢まで一気に標高差200mを降ります。
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この急斜面は杉林の植林地帯
暗い植林地帯の隙間から
昨年2月の大雪に彷徨していた山がみえてきた。
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チェーンソーの音が聞こえてくると
小下沢は直ぐだ。
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小下沢の広場に到着
昔は、ここで野営できた様ですが
現在は休場となっています。

ここから景信山までは約400mの登り返しなので
ベンチにて小休憩して沢沿いの山道にはいった。
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これまでの稜線道とちがって
沢の水音
そして苔むした登山道を沢上流に登りつめていく
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ルートは沢がきれたあたりから
折り返しの急登に変わる。

あの雪の日に登った急坂も
今はヤブの中
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急坂で一気に標高を稼ぎ
遠くを眺めると
これまで登ってきた北高尾山稜を一望できる
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そして、小仏バス停からの合流ポイントからは
一気に銀座通りに登山道は変化
(このあたり、端折ります)

そして、茶屋下のトイレを通過し
木階段を登っていくと
おなじみの景信山
後方の山々は本日歩いた稜線
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これまで登ってきた稜線を眺めながら
ランチにしたくて
混雑も厭わず登ってきましたが
最高の展望です。
横地景信も同じルートを辿ったのでしょうか・・・
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そして奇跡的に
満席だと思われた
展望ポイントのテーブルが
私たちの到着と同タイミングで
ひとテーブル獲得できた幸運にも恵まれました。

さあ、この季節は
暖かい「なめこうどん」か「なめこじる」
しかし、この日は季節外れの気温の高さ
結局、缶ビールとなめこじるを購入したのは私のみでした(笑)

お茶屋さんの奥に、今日はご機嫌麗しい富士山の姿
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そして景信山の紅葉は
今がピーク。良い色付きです。
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温かい陽気の中
皆さん、思い思いに賑やかにテーブルを囲みながらの談話
皆さん、飲みすぎない様にね(笑)
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そして、もろーさんは
何やら古いガイドブックをとりだして
登山ルートの検証中。
tanmaさんも、もろーさんの本に興味深々のご様子ですね
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30分程のランチタイムをおえて下山開始
左のピーク大山、そして右の最も高いピークが蛭ヶ岳
tanmaさん、私には見慣れた光景でも
小田原のもろーさんには新鮮な景色にうつったらしく
山座の同定に少し迷いが・・
冬の雪景色がさらに趣があって良いのですが
冬の高尾山でもご案内するようですかね・
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この後、山の話をしながら
何事もなく小仏バス停に

バス停では高尾駅行きバスの長蛇の列
ところが、最近に
高尾山口駅に温泉ができたことで
何と「高尾山口駅行き」のバスがあるではないですか。

私たちは、甲州街道にはいる前の駒木曽BSでおりて
この日開催のいちょう祭りの雰囲気でも
高尾駅までの間で楽しんでもらおうと思っていたので
空いている高尾山口駅行きのバスに乗車

このバス、高尾山口駅に車を駐車して
小仏バス停まで歩かれる登山者には便利ですね。

・・・・・

時は流れ~駒木曽で下車した私たちは
いちょう祭りの小仏関から
高尾駅まで・・・普段より数倍多い人込みを歩き
高尾駅に戻ってきました。

いつもなら、ここで解散ですが
元々、山を下りたら飲もうと申し合わせていた私達!!

その射程に入ったお店が
「あさかわ食堂」
以前、奥多摩の怪人booさんと飲んだお店
再訪の機会を狙っておりました。
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そして、景信山に引き続き
幸運なことに
歴史を感じさせる暖簾をくぐると
ひとテーブル空いていました。

このお店、土日は午後2時からの営業開始で
他のお客さんは並んで入店を待っていたそうなんですが
奇跡的なタイミングで席を得ることができました。
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車利用のtanmaさんはコーラーで
私は、生ビールから
もろーさんは、
いきなりの信州にごり酒「藤村」でスタート。
(私も、この後で藤村に切り替え)

美味しい一品料理の数々とお酒で
約2時間近くお邪魔しました。

お隣のテーブルのみなさんに教えて頂いた
あじフライが
本場小田原のもろーさんも絶品の味

メニューも豊富です、

人気のお店で席が少なく席の確保は難しいかもしれませんが
お勧めのお店です。
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気が付くと・・周囲は薄暗くなり
またの山歩きを誓いあい
高尾駅でみなさんとお別れしました。

11月に入り
狙い撃ちにする様な週末の不順なお天気・・
ブロ友オフ会で予定していた蛭ヶ岳1泊山行
長野隊と計画していた八王子城跡からの北高尾山稜縦走も中止に

そして勤労感謝の3連休も
晴れマークは土曜日のみ、この唯一つのチャンス日も
相方仕事・・・うまく計画が絡まないですね。


そこで単独行も寂しいので
先週中止とした八王子城跡から北高尾山稜ルートから
景信山を絡めた計画で
このところ、山歩きに共にする機会の多い
小田原のもろーさんと私と同じく地元代表としてtanmaさんとで
山歩きを楽しんできました。

山行ルートとコースタイムは↓
クリックで拡大可
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待ち合わせは高尾駅北口に7:00。
今回は下山後の一杯を楽しもうと私は自宅から徒歩
もろーさんは電車でのアクセスです。
(tanmaさんは、下山後に長野移動で車利用)


週末朝の高尾駅北口。
木造建築でお馴染みの※駅舎から
電車が到着するたびに多くの登山者を吐き出しています。
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今日は保証された様な晴れ予報。
高尾の紅葉色づきに期待膨らませた老若男女の登山者達が
小仏行のバス行列にならびます。

※この北口駅舎は、「高尾駅南北自由通路整備」に伴い、
東側約1・5キロの八王子市東浅川町の市有地に
移築されることになりました。
便利になることとの対価としては痛い・・

小仏行バスの長蛇列を横目に
7:15 八王子城跡行きのバスに乗車
(土・日には直接アクセスできる便が有り)。

なんと、私達3人以外に
二人の男性(後ほど、ルート上で再会)、合計で5名の乗車。
なんとマイナーなルートなのでしょう~


八王子城跡BSで下車すると
右手に新しい建物・・・八王子城跡ガイダンス施設。
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実は、こうち隊は本格的に山登り初期の頃に
相方と二人で八王子城跡に登っているのですが、この時には
この施設は当然ありません。
この真新しい施設を右手に更に直進すると
八王子城跡管理棟。
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こちらには幾つかのタイル説明板が設置されているので
八王子城の概要を事前にインプット。

以下ダイジェスト版説明です。

八王子城は、小田原に本拠をおいた北条氏(後北条)の
三代目氏康の三男北条氏照が築いた関東屈指の山城です。
武田氏との攻防戦で重要な北条側の拠点でしたが
豊臣秀吉の小田原北条攻めの一環で
前田利家と上杉景勝に攻められて落城。
これが決めてとなって小田原城は開城し北条氏が滅びることに。
この時の八王子城攻防戦
残念ながら北条氏照をはじめとする主だった軍勢は
小田原城に入っていた為に
場内に残ったのは女子供・周辺の農民達で、
関東屈指の山城は一日で落城。
そして、豊臣側は小田原への見せしめの意味で徹底した攻城を指示。
この時に亡くなった千余名の怨霊が
この八王子城跡を関東有数の心霊スポットとなっている由来です。


特に落城の日には人馬、鉄砲、女の叫び声が聞こえ
里の人は踏み込まなかったそうですよ。

はい!! 私も、そんな日には絶対に立ち寄りません。

少しウンチク話が長くなりますが
圏央道から中央道に合流する直前の
全長2kmの八王子城跡トンネルの開通日は2007年6月23日
そして、八王子城落城の日が1590年6月23日・・
何も開通日を同じ日にしなくてもと思う次第ですが。。。

ちょっと脱線してしまいましたが
レポに戻ります。


今日の城跡登山ルートを少し解説
まずは前回と同様に御主殿跡に向かいます。
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そして、この心霊スポットの中心となっている
御主殿の滝をひと目見てみたい。
・・・勿論、昼間のこの時間が大前提ですが。
そして御主殿跡を散策し
御主殿山側から直接本丸に
登ることができる「殿の道」で直登します。
このバリルート上の石垣は落城以降、
まったく手が入っていないものだそうです。

管理棟から左手に延びている川にそった林道を歩いていきます。
途中、本来であれば川を右岸に渡り
御主殿跡へのアクセス道である大手道を進むのですが、
今は大手道先の曳橋が工事中で通行止めとなっています。
・・ということで
そのまま、川沿いの林道を直進します。

すると林道ゲートの先に
工事中の曳橋と右手には御主殿の石垣が現われます。
(この石垣は一部発掘調査後に積み直したものだそうです)。
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工事中の曳橋を通りぬけて
沢筋をの奥を眺めると二筋の滝が遠くに見えてきました。
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これが落城時の悲話が伝わる御主殿の滝。
この滝に落城時に残っていた女子供が
滝に身を投げたと言い伝えられ川の水は三日三晩
その血で赤く染まったとのこと。
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この周辺の心霊現象は数多くある様で
・・残念ながら霊感がドン感な私には
何も感ずることができませんでした。
(それはそれで良いのですが・・・)

その御主殿の滝から山側に折り返す坂を
登ったところが広大な平地となっています。
ここに御主殿といわれる居館が建っていたとのことです。
発掘調査の後で整備されてベンチなども準備されております。
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まずは、御主殿裏口から入ったので
表玄関口に足を延ばします。
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玄関口である冠木門を出ると
曳橋につながる虎口跡。
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石畳も凸凹しており、また段差も高く幅広で歩き辛い。
古城ファンにはたまらないでしょうね。
発掘調査で往時の姿を忠実に復元したものだそうですよ。
その石畳の奥には工事中の曳橋がみえています。
大手路は、この橋の対岸からアクセスすることになります。

素人目には、この様な堅固な城構えで
一日で落城したことが信じられません。
(防衛線では、この橋も落とされたんでしょうね)

再び、御主殿に戻り
庭園跡と復元された館跡(床面まで復元)を散策。
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さて御主殿跡は、
この城の居住空間で在り執務エリアでもあります。
そこから本丸に登る脱出ルートが用意されています。

それを
「殿の道」と呼び本丸そして詰城へと
直接登っていける急峻な山道でこの御主殿跡の最奥部から
登ることができます。

8年前にも、WEBで知ったルートで
その時には道標らしきものがあったが、今回は探しても
それらしきものは無かった。唯一つ、マムシ注意の看板のみ。
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(取付きポイントは、知っている人でないと分かり辛いです)。

うっそうとした山の中に入りこむと
それでも石ゴロゴロの山道だが踏み跡はしっかりしていて
道に迷うことはないでしょう。
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取付きから約2~3分程進むと
目の前に石垣が現われてきた。
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これが戦国時代から手が一切はいっていない石垣。
石垣群を縫う様に踏み跡が続く。
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これが4段の石垣か・・・
石垣の個々の大きさは小振りなのは、
これが山城なので仕方ないでしょう。
然しながら、
落城から400年を超える年月を大きく崩壊することもなく
現存していること、この石垣で攻防戦がおこなわれていたこと
そして多くの人々が亡くなったこと。

そっと、山の中に仕舞って置かなければならない
遺物かもしれません。

石垣群をぬけて急峻は傾斜を上り進むと
目の前に大きな人工の構造物が現れた。
「八王子城戦死者招魂碑」と掘られた大きな石塔。
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この場所は山王台と呼ばれ
御主殿から本丸ルートのなかで防衛線の重要な拠点だったようで
沢山の人が亡くなられたのでしょう。

さらに獣で荒らされた山道を登っていきます。
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さてと・・この石塔までは8年前の記憶に残っていたのですが
この山王台から暫くのぼると
ルートは山頂部(本丸)を巻いてしまうルートに・・・
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これは記憶になく、
前には、どこかの正規ルートに虎ロープで登った様な気がする。
その分岐を見逃してしまったらしい。

このトラバースルートが曲者で
急峻な傾斜に幅の狭いルート。
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少しじめじめした岩肌の渡っていくのですが
攻め手にとっては攻略しづらい城だったのだと改めて感じる。

高尾・陣馬縦走路にでた。
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ここから八王子城山頂には少し戻ることとなる。

この合流ポイントから少し登ったところに井戸が。
この井戸には記憶あります。
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手押しポンプも付けられていて・・WEB情報では飲めるとか。
今日は水を沢山背負っているのでパスですね(笑)。

井戸から数分で八王子城跡で最も展望の良い松木曲輪に到着。
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この手前で、バスでご一緒だった二人の登山者の方と再会。
私達は御主殿跡を散策した時間分、
金子曲輪経由の正規のルートから登られたお二人が早かったようだ。
(この後で更に2回遭遇します)

松木曲輪で、まず目に飛び込んできた光景がこれ↓
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遠く地平線上に東京都心の摩天楼が見えているではないか。
それも薄い筋状の靄が漂ったなかに
浮かび上がっているシルエットが美しい。
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この広場の紅葉は、まだの様ですが
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お隣の高尾山に負けない展望スポットです。
・・残念ながら、ここからは富士山は見えませんが。

松木曲輪傍の八王子神社を背後を大きく迂回し
登りつめると山頂部。
ここが八王子城本丸跡となる。
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本丸というにはそんなに広くなく
小さな祠が一つ建つばかり。

そして、この本丸跡には八王子城の由来を説明する
説明板がたっていた。
これが八王子市の名前の由来でもあるんですね。

八王子神社は、913(延喜13)年に華厳菩薩妙行が、
ここ深沢山(現・城山)山頂で修行中に
牛頭天王と八人の王子が現れたことに由来し
916(延喜16)年、八王子権現が祀られた。
  八王子城の由来は
北条氏照がこの八王子権現から名づけたことによる。
↓詳細は・・こちらから。

その八王子神社
本丸下部の広い広場に建てられている
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古い建物ですが手入れがされている様には思えない。
我が街の由来となる神社
もう少し大事にしてもと思うのは私だけなのか・・
といっても訪れる人々の少ない八王子城跡
これも心霊スポットの影響か・・などと想像してみる。

さて、これからは未踏の北高尾山稜縦走です。
そしてお昼は一旦小下沢におりて景信山に登ります。
心配なのはテーブル確保できるかどうか・・

次報につづく









またまた、一週間遅れの山行レポアップとなってしまいました。

10月最終の週末に
もろーさんからお誘いがあり
秩父は・・熊倉山に登ってきました。

今年は、もろーさんの何年振りシリーズ登山に
ご一緒する機会が多く
今回も、35年ぶりだそうです。

そして、もう一人メンバーとして
10月に北八ヶ岳を一緒に登ったtanmaさんも参戦です。

お二人のブログ記事は、こちらから


熊倉山・・良く知らなかったのですが
実は不気味に錆びた鉄板に刻みこまれた山頂標だけは
WEB情報のどこかで見ていた記憶があり
それが、この山だっとは・・・。
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登山ルートは↓の通りです。
武州日野駅で集合し7時39分電車で白久駅に移動。
そこから城山(じょうやま)ルートで山頂に
そして武州日野駅に下山する計画です。
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武州日野駅には7時前に到着
先着していたもろーさんと雑談していると
暫くしてtanmaさんも合流。

この構内駐車場は有料(310円/日)なのですが
駅員が8時からでないといないので帰りに支払うこととなります。

駅のホームの遥か先には武甲山のシルエットが遠望できます。
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定刻通りに7時39分に三峰口行き電車にのり
白久駅には7時45分着

城山コースは、駅から踏切を渡り
武州日野駅側に少し戻ったところから
日野白久自然研究路の道標に従い進みます。
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自然研究路と呼ばれるルートですが
取付きは膝まで伸びた草むらの藪漕ぎちっくな路で
踏み跡も浅く、登山者も余り踏み入れていない様相です。
(実は、城山近くまで林道を使って車でアクセス可)

取付きの草むらを通過して樹林帯に入ると
コンクリート枕木の階段路が整備されています。
・・・ただ、以外にアップダウンが多く
もろーさん、沼津アルプスに稜線歩きのようだね・・と

標高500mに満たない樹々は紅葉には早かったようです。
途中で、これは何の木でしょうか
生き物の様な枝ふりと捻じれた木々が不気味。
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木々の隙間から武甲山も見えています。

紅葉ピークには1週間程
早いでしょうか。
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このアップダウンを何度か繰り返し
1時間半ほどで
傾斜も緩やかな若い杉の植林地帯になってくると
城山に到着
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城山山頂は、広く周囲を空堀で囲まれた
熊倉城の城跡です。
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熊倉城は室町期に築城された山城で
太田道灌に追われ秩父山中に逃げ込んだ
長尾景春の築城とされています。

戦国時代には上杉・北条・武田の支城としてなしていた様ですが
歴史の表舞台から離れた山城だった様ですよ。

その城山から直ぐの場所が
城山登山口。
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登山口から見えている稜線部分が
熊倉山と、このとき大きな勘違い。
ここの標高でまだ600mばかり
山頂まで800m以上登らなければなりません。
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山頂部がガスった稜線が両神山か・・
左手前の山が、妙法ヶ岳だと思われる。
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さて、これからが本格的な山登り
番号表記の指導標を⇒に曲がり
植林地帯の斜面にとりつくと
これから九十九折れの急登がつづく。
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上部を眺めても永遠に続きそうな急斜面を登っていく。
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この植林の根本からの曲がった様子からも
この斜面の斜度が分かるかと思います。
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途中、800m地点辺りで一呼吸いれて
一気に1000m超え。
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1000m超えると尾根筋につきあたり
露岩も少しづつ多くなる。

すると前方に燃える様な色の紅葉で覆われたピークが
見えてきた。
残念ながら、熊倉山山頂は
その奥のピーク。
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そして、ここから
ヤセ尾根の岩場が続きます。
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まずは、鞍部までの岩場の急下り。
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紅葉も綺麗なのですが
これまでの平穏なルートから
一気に緊張を強いられます。
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そして鞍部から
落ち葉に覆われた急坂の直登。
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大きな岩を右に巻きながら登っていきます。
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そして、そのピークに到着すると
木立の先に熊倉山と思しきピークが見えてきた。
事前学習のtanmaさんによると
山頂直下も
等高線が狭まった急登とのこと。
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ピーク間の鞍部に下り立ちました。
ここから左方向にあった笹平に通じるルートは
現在廃道になっています。
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ここから再び傾斜が次第にきつくなり
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落葉した木々の隙間からは
秩父市街を見下ろすことができる。
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もろーさんの35年前の記憶は
これら視界を遮っている木々もなく草原だった様な話だが
その時の大展望をみてみたい気持ちになった。

下山路の日野コース分岐点をやり過ごして
更に急斜面を登りつめていく。
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白久駅から約4時間で山頂に到着。
標高差で約1100m少し
久々に汗をかかせてもらった。

山頂部は細長くフラットで
紹介されている様に展望は無い。
(もろーさんの35年前もそうだったとのこと)
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この日は、もう少し晴れる予報だったが
高曇りで弱い日差し。
こんな時は暖かいものと
珍しくもろーさんもカップ麺。

tanmaさんからのお菓子差し入れと
私もと蜜柑をわけあって
静かな山頂での昼食です。

昼食中に単独の男性が一人登ってきたが
私達の傍で簡単な食事をおえて先に下りていった。

40分近く、休ませてもらった山頂も
次第に身体が冷えてきて
下山することに。


ここからは、先の日野コース分岐から
笹平経由で一気に下山していきます。

途中、ぬり壁の様な巨大な真四角な岩が植林地帯に
根をはる様にどっしりと鎮座。

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苔むした笹平も紅葉は終盤
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笹平から暫くすすむと
登りで歩いた急登を真正面にみることができます。
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するとルートは植林地帯に戻り
杉林の暗い道をおりていきます。
カメラを向ける度にポーズとってくれるので
シャッターの押甲斐があります。tanmaさん。
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少し涸れかけた滝壺。
紅葉すると綺麗だと思うんですが。
まだ、先ですね。
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旧官舎跡は部分的に紅葉していました。
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その先からは沢沿いのルートを何度か
渡渉しながら下りていきます。
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渡渉に準備された木橋・丸太橋は
殆ど朽ちてしまって
岩をつたいながらの沢を渡ります。
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林道終点に辿り着きました。
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しかし、
こんな心細い木橋を渡らなければなりません。
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林道からは・・もろーさんの昔の山話などを聞きながら
里に下りていきます。
(○○小屋・・宿泊客蜂起の話は面白かったですよ)

寺沢地区におりてきました。
振り返ると熊倉山を眺めることができます。
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林道から約1時間と少しで
武州日野駅に戻ってきました。
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本日の行動時間・・約7時間。

累積標高 久々に1600m超え。
登山者に殆ど出逢わない
静かな奥武蔵の頂きでしたが
標高では武甲山よりも高いんですね。

男三人で
中々渋い山歩きの一日でした。

密かに心配したことが山の名前の如く
到る所に・・熊注意の表示。

この日、熊鈴を忘れていたので
チキンな私にとって
びくびく物の山歩きの一日でしたよ~。











西沢渓谷からの続き・・・

雁坂みちから甲州街道に入り
秋の甲州路を諏訪に向かう。

ここで、以前から行ってみたかったスポットが
これ↓
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サントリー白州です。

昨年の朝ドラ後半の「まっさん」は
御存知の様にサントリー山崎の初代工場長
そのサントリーがサントリーウィスキー50周年を記念して
この南アルプスの麓に二つ目の蒸溜所として
1973年に設立されたそうです。

そう・・観たかったのは
まっさんでも有名になったポットスチル。
ガラス越しで中には入れませんでしたが
大きな設備・・・山崎蒸留所立上げでは
日本の職人さんが、まっさんの図面を見様見真似で作ったとか。
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そして蒸留したウィスキーは樽の中で長時間じっくり寝かせる。
この貯蔵所、温度管理は無く外気の温度変化が
そのままに樽材を通して複雑な反応をみせ
多彩なウィスキー原酒が生まれるとのことです。

そして、ブレンダーによって混和して
製品としてのウィスキーの出来上がり。
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見学ツアーの最終コーナーは
お待ちかね試飲コーナー

ー残念ながら飲めるのは相方のみ
私は、なっちゃんで心を落ち着かせておりました。


そして、諏訪入り・・。
最近では八ヶ岳も諏訪南から入ることが多く
久方ぶりです。

諏訪のモンベルでガスボンベの買い足しを行い
諏訪湖マラソンの前日受付で
諏訪湖近くに・・

第27回ということで
平成元年に開始されたんですね。
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そして、夕食は
ブロ友tanmaさんに紹介された岡谷の美和食堂
ソースカツ丼、厚肉で大変美味しゅうございました。
オマケにアイスを2本頂きました。



諏訪湖マラソン

昨日のポカポカ陽気と変わって
肌寒い気温
諏訪湖から吹き付ける風も
流石、10月末の諏訪。

走るには絶好のコンデションだと思います。
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会場は、諏訪湖ヨットハーバー

ランナー用の水は霧ヶ峰伏流水を使用しているんですね。
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そして、ゲストランナーは長谷川理恵さん
といっても、走っているところは見ていませんが・・
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さて、いよいよ本番です。

前回走った6年前の大会では
5km過ぎあたりから腰が痛くなり
10kmでタイム目標から完走目標に切り替えて
無事に完走したものの・・・坐骨神経痛となり
これが全治するのに1年近く

今でも、少し後遺症が残っているようですが
今回は、スタートから完走目標なので
楽しんで走ることが目標。

従って、スタートブロックの最後部なんです。
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am10:00 花火の打ち上げと共にスタート
最後尾ブロックがスタートゲートを通過したのは
その5分後となります。

序盤スタート時は、7分/kmペースの歩く様なペース。
5km過ぎから、少しづつペースをあげて
6分30秒ペース。

9km通過で1時間かっきりでした。

この日は、本当に天気が良く
給水場では止まって
しっかりと水を頂きました。
LINEでブロ友さんにもレース内容をアップ!!
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15km過ぎ辺りからペースが少し落ちはじめ
諏訪湖東岸に入ると
諏訪湖からの冷たい風が体温を下げはじめ
ペースがガクッと落ち始めました。

この残り1kmで、相方に電話連絡
後・・・8分はかかるかな~
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ヨットハーバーに戻ってきましたが
楽しんで走るといっておきながら
最後は必死の形相です(笑)
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結局、Grossタイムで2時間29分09秒
ネットタイムで2時間24分28秒が今年の記録でした。
↑これ、ハーフマラソンの大会なので間違えないで(笑)

10km以上走ったのは・・何年振りだろうか。
そのことを割びくと
まずまずのタイムと評価

この年なので、2時間切には
かなり努力が必要だが
次回には10分台で走ってみたいものだ・・・

ということは、次回大会も走るって、ことだよね。

この諏訪湖マラソンはハーフマラソンの大会
全周に渡って高低差が殆どないフラットなコースです。
そして、何より沿道の皆さんの応援が嬉しいです。

もし、ハーフマラソンを始めようと思われる方
諏訪湖がお勧めです。








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