八王子城跡ネタでもう一つ

「北条五代」を大河ドラマ化しようと
小田原市が宣言しているとか。
もちろん、この推進自治体には八王子市も含まれております。
↓ 八王子城跡ガイダンス施設 幟旗
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今や、大河ドラマは地方の観光活性化に必須。
八王子も大河の表舞台に露出する日が来るか?!

そういえば八王子城攻め手の
前田利家・上杉景勝はドラマ化されてましたね。
そして、来年の大河主人公幸村の父、真田昌幸も
攻め手の一軍だったんですよ。



本編に戻ります。

八王子神社から再び高尾・陣馬縦走路にもどり
北高尾山稜ルートを進む。

一言で高尾といっても
観光地化している高尾山周辺部と
そこを起点に主脈である陣馬山までの奥高尾縦走ルート。
これまでも、何度か歩いている南高尾縦走ルート。
そして、今回の北高尾山稜ルートにわかれる。

最近では、高尾山口から周回で回れる利便性で
南高尾山稜も登山者が多く流れる様になってきたが
この北高尾山稜は健脚向きということで
登山者は少なめで静かな山歩きを楽しめます。

もろーさん、北アルプスにたとえると
高尾山が上高地で
陣馬までの奥高尾縦走路が
明神・徳澤・横尾の銀座通りなんじゃないかな・・なんて
そしたら
北高尾は・・新島々から徳本峠のルートかなんて
勝手な想像をしてしまう。

細かなピークを通過し
後方をふりかえると先ほどまでいた本丸を望める。
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このアップダウンの繰り返しで
次第に身体は汗ばんできた。
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詰の城に到着。
以前は天守閣跡と表記されていたと思うのだが
小高いピークは樹木に囲まれ小さな広場に
建物が建っていたとは思えない場所
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詰の城とは・・・一つの城の中で最終拠点となる 地域,
 複数の城で防衛地域を設定した場合,最終拠点となる城。

ということで、この場所が八王子城の最終拠点とのことですが
八王子城落城の際、城代の横地将監景信が、この北高尾山稜を経て
奥多摩に逃れており、
この城落ちルート最後の防衛拠点だったのではないかと思う。

一説には、この横地景信が
今の景信山経由で逃亡したことで景信山の名前の由来になったとか。
・・・ということは、本日の山行計画は
景信さんの逃避行ルートだったかも。

この詰の城のピークから
少し下ると
見事に尾根を切り通した堀切にでる。
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この大きさの巨石を切り通した土木工事は
大規模なものだったのでしょう。
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この切通しを左に巻いて
長い坂道を登っていくと「富士見台」に到着。
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前回も、この富士見台に来ているのですが
富士山を眺めた記憶もなく
今日も期待はしていなかったのですが
木々の隙間から白く雪化粧を纏った富士山が
そこにいた。
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すると、バスで一緒だったお二人さんに再会し
道標から少し尾根筋に展望ポイントがあることを
教えていただく。

ここにはテーブルやベンチもあり
少し休息することに。
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(8年前は、この尾根筋を旧甲州街道の荒井バス停に下山)

この三連休で唯一の青空にはえる富士の姿。
手前の稜線、左手の電波塔が小仏城山、そして
右に下った鞍部が小仏峠となる。
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再び、先ほどの道標ポイントにもどり
「堂所山を経て陣馬山へ」に従って
尾根道のアップダウンを進む。

このルートで最も傾斜がきついピークは
「高ドッケ」
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ドッケとは、尖った峰をさす言葉だそうですが

由来は・・・古代朝鮮系の言葉と言われている話とか
「突起」がなまった言葉で尖った地形に付けられた名前だとか。

この北高尾稜線上には、今日は通過しませんが
もう一つ黒ドッケが残っています。

前方にバスのお二人さんが歩いている姿が
確認できましたが・・その距離は
中々詰まりません。
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高ドッケからは降り道とばかり思っていたが
下写真前方の緩やかなピークを登るのは計算外。
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そして林道に出逢った場所が
板当峠となる。
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ここで休憩していた先行のお二人に追いつく
今日は堂所山まで歩いて
体力をみて、その先を考えるとのこと
お年を推察するに70歳前後とお見受けしましたが
歩き方に余裕のある良い山歩きをされていた。
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さて、私達は
ここから北高尾山稜ルートから外れて
小下沢まで一気に標高差200mを降ります。
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この急斜面は杉林の植林地帯
暗い植林地帯の隙間から
昨年2月の大雪に彷徨していた山がみえてきた。
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チェーンソーの音が聞こえてくると
小下沢は直ぐだ。
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小下沢の広場に到着
昔は、ここで野営できた様ですが
現在は休場となっています。

ここから景信山までは約400mの登り返しなので
ベンチにて小休憩して沢沿いの山道にはいった。
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これまでの稜線道とちがって
沢の水音
そして苔むした登山道を沢上流に登りつめていく
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ルートは沢がきれたあたりから
折り返しの急登に変わる。

あの雪の日に登った急坂も
今はヤブの中
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急坂で一気に標高を稼ぎ
遠くを眺めると
これまで登ってきた北高尾山稜を一望できる
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そして、小仏バス停からの合流ポイントからは
一気に銀座通りに登山道は変化
(このあたり、端折ります)

そして、茶屋下のトイレを通過し
木階段を登っていくと
おなじみの景信山
後方の山々は本日歩いた稜線
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これまで登ってきた稜線を眺めながら
ランチにしたくて
混雑も厭わず登ってきましたが
最高の展望です。
横地景信も同じルートを辿ったのでしょうか・・・
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そして奇跡的に
満席だと思われた
展望ポイントのテーブルが
私たちの到着と同タイミングで
ひとテーブル獲得できた幸運にも恵まれました。

さあ、この季節は
暖かい「なめこうどん」か「なめこじる」
しかし、この日は季節外れの気温の高さ
結局、缶ビールとなめこじるを購入したのは私のみでした(笑)

お茶屋さんの奥に、今日はご機嫌麗しい富士山の姿
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そして景信山の紅葉は
今がピーク。良い色付きです。
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温かい陽気の中
皆さん、思い思いに賑やかにテーブルを囲みながらの談話
皆さん、飲みすぎない様にね(笑)
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そして、もろーさんは
何やら古いガイドブックをとりだして
登山ルートの検証中。
tanmaさんも、もろーさんの本に興味深々のご様子ですね
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30分程のランチタイムをおえて下山開始
左のピーク大山、そして右の最も高いピークが蛭ヶ岳
tanmaさん、私には見慣れた光景でも
小田原のもろーさんには新鮮な景色にうつったらしく
山座の同定に少し迷いが・・
冬の雪景色がさらに趣があって良いのですが
冬の高尾山でもご案内するようですかね・
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この後、山の話をしながら
何事もなく小仏バス停に

バス停では高尾駅行きバスの長蛇の列
ところが、最近に
高尾山口駅に温泉ができたことで
何と「高尾山口駅行き」のバスがあるではないですか。

私たちは、甲州街道にはいる前の駒木曽BSでおりて
この日開催のいちょう祭りの雰囲気でも
高尾駅までの間で楽しんでもらおうと思っていたので
空いている高尾山口駅行きのバスに乗車

このバス、高尾山口駅に車を駐車して
小仏バス停まで歩かれる登山者には便利ですね。

・・・・・

時は流れ~駒木曽で下車した私たちは
いちょう祭りの小仏関から
高尾駅まで・・・普段より数倍多い人込みを歩き
高尾駅に戻ってきました。

いつもなら、ここで解散ですが
元々、山を下りたら飲もうと申し合わせていた私達!!

その射程に入ったお店が
「あさかわ食堂」
以前、奥多摩の怪人booさんと飲んだお店
再訪の機会を狙っておりました。
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そして、景信山に引き続き
幸運なことに
歴史を感じさせる暖簾をくぐると
ひとテーブル空いていました。

このお店、土日は午後2時からの営業開始で
他のお客さんは並んで入店を待っていたそうなんですが
奇跡的なタイミングで席を得ることができました。
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車利用のtanmaさんはコーラーで
私は、生ビールから
もろーさんは、
いきなりの信州にごり酒「藤村」でスタート。
(私も、この後で藤村に切り替え)

美味しい一品料理の数々とお酒で
約2時間近くお邪魔しました。

お隣のテーブルのみなさんに教えて頂いた
あじフライが
本場小田原のもろーさんも絶品の味

メニューも豊富です、

人気のお店で席が少なく席の確保は難しいかもしれませんが
お勧めのお店です。
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気が付くと・・周囲は薄暗くなり
またの山歩きを誓いあい
高尾駅でみなさんとお別れしました。