歴オトコが行く 東三河歴史探訪


今週末は、名古屋で生活している愚息MACと新東海BCにてくつろぐことに。
MACは5年前から名古屋で働いているわけですが、私に負けない「歴オトコ」。
この週末の土曜日は、武田VS徳川・織田攻防戦の主戦場であった東三河歴史の旅と洒落込みました。

豊川ICから151号線を北上すると直に野田城の案内標識。
野田城は、三方が原で家康を撃破し破竹の勢いで侵攻していた武田軍が進撃を止め結局甲斐へとUターンした城です。今回は立ち寄りませんでしたが、黒澤映画の「影武者」ではこの城の攻防戦で城内から信玄が狙撃されたこととなっています。

151号線を更に進むと長篠合戦場にアクセスできるのですが、武田贔屓の小生にとっては踏み入りたく無い場所なので(今日は、甲府で信玄公祭りです)パス。ルートを301号線にとり北上。

【亀山城】


301号線 「つくで手作り村」道の駅の背後の小高い山城が亀山城。
MACの職場の先輩が、この亀山城主であった奥平氏の子孫とのことでMACの思入れも強い城。信玄の三河侵攻では、奥平氏は、武田氏に降りて三河攻めの拠点となった城なのですが、信玄の死後、徳川側に再び降りる為、城から脱出します。この後に長篠城主となり長篠合戦で歴史の表に登場。

道の駅周辺は菜の花満開、のどかな田園風景。
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山城といっても小さな岡です。
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山頂の本丸は桜満開。
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【武節城】

「つくで手作り村」道の駅を後にして301号線から県道35号・420号線・257号線から第二の目的地-武節城を目指す。途中、土手の桜並木、花満開。
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153号線に少しはいったところに道の駅「どんぐりの里いなぶ」。その後方に武節城跡です。道の駅の下には、日帰り温泉「どんぐりの湯」。駐車場は満車状態。
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この城は、長篠の合戦で敗れた武田勝頼が苦難のすえに落ち延びた城。勝頼はここで梅酢湯を飲んで心身の労を休めて甲斐へ帰ったといわれた城です。

【明智城】

再び257号線にもどり矢作ダム湖畔経由で大正村明智城に。
明智城は光秀出生の地とされているがこの他に可児市にもあり、どちらが真実なのか不明。
城は、街全体を大正時代の雰囲気を残したテーマパーク日本大正村の東側に位置します。
(↓建物の後方の山です)。
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今回は時間が無いので大正村の町並み散策。
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この街では、年号は勿論「大正」です。大正99年?若しかして来年は大正100年!!
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北側には、何と八王子神社が!!
天照大神の8人の子(5男3女)を祭神とする神社とのこと。
我が実家の八王子神社(八王子城)では仏教の守護神である牛頭天王の8人の王子を祭っていたのでは・・・。これは要調査ですね。
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社殿左横には光秀お手植えの楓の木が残されています。
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ところで明智城主は明智遠山氏で何と「遠山の金さん」のご先祖さんにあたります。
実は、小生の20年位前の上司が、この遠山氏の子孫です。この様なルーツがあると良いですね。

【岩村城】

本日最後の城は日本三大山城の一つで岩村城。
恵那から明智駅までの明知鉄道に沿って30分ほどで到着。
麓から登ると30分以上かかる山城。
今回は時刻も遅くなったので、車で本丸直下の出丸まで車で上がります。
この城は、美濃・信濃・三河の国境付近に位置し当時の織田氏にとって重要な戦略上の拠点。
当時の城主は、明智城と同様、遠山氏でしたが、織田信長は信長の叔母を嫁がせています。
この叔母は、信長よりも若く絶世の美女だったといわれています。
信玄の三河侵攻時に、武田24将の一人である秋山信友の別働隊に攻められます。
この以前に、城主である遠山氏は既に亡くなっており、難航不落のこの城攻めに秋山は奇策を用います。
何と、信長の叔母に結婚を申し込み婿として入ることでこの城を攻落(攻とは言えない?)させてしまいます。
このことに信長は激怒し、後に岩村城が織田軍に落ちたとき、秋山夫婦を長良川にて磔にしてしまいます。

岩村城 本丸埋門
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本丸埋門 実写
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本丸埋門から本丸に
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海抜721m 日本三大山城 岩村城
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本丸より恵那山方面を望む。残念ながら厚い雲がかかっていました。
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今年は登るのかな?この山。

岩村城から下りてくると日もかなり落ちてきました。

今日は、お昼前の出発だったのでゆっくりできませんでしたが、
東海から岐阜にかけて、歴史に名前が出てくる場所ばかり。

これから、山に行けない日はユックリと歴史探訪したいと思います。